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藤の沿革 Edit

藤の誕生 Edit

 藤のルーツははっきりしないが、興味のある地名がある。
 「城(じょう)、城の峰(じょうのみね)、城の下(じょうのした)」は大藤のすぐ北、美麻八坂線の西側が少し高くなっている付近。
 「掘切(ほりぎり)」と言う地名もある。城の少し北、美麻八坂線の沿線でもっとも景色のよいところ。
 「大屋敷(おやしき)」は小藤への上からの入り口の上、高台の水田。
 「屋敷(やしき)」は堀切とおやしきの中間付近を小岩嶽口と言うのだが、そこから登った山の上。今は人間が住んだ形跡を感じないところ。

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松本藩から明治・大正・昭和の藤 Edit

 藤は松本藩の時代、二重村の枝郷「ふじ」だった。
明治の藤大.jpg
 明治になっても二重の一部で、大町組の7村が一緒に「美麻村」になってからもそれは変わらずに戦後(第2次世界大戦)になって青具に組み込まれた。
 美麻の地番の設定は大塩(メイノ)から始まって二重、新行、青具から千見、高地で終わるように設定してあるが、二重の湯の海地籍(1万1千番地代)から藤を経由して新行方面(1万4千代)に地番が続いている。古くから青具だった「谷地」と藤の間には30センチほどの水路があるのだが、藤側が1万2千番代、谷地側は1万6千番代の地番設定になっていて藤が二重の一部だったことを現在に伝えている。
 明治時代に学校が出来たが藤の通学区域は青具の学校で、子供は一宇田にあった青具小学校に通学し、行政上の区域との齟齬があった。
 昭和12年4月20日、小藤に大火があって、全世帯が燃え、隣接する矢地(谷地、どちらが正しいのか判らないのだが)も燃えたのだが、消火・防火の地域分担について「被災者と消防団の間に多少のやり取り」があったとの話もある。
昭和12年4月21日付の信濃毎日新聞コピー
小藤の大火.jpg


近代の藤へ Edit

 青具小学校修学者を中心に「行政上も藤を青具に!」の声が上がり、戦後青具区の一部落となった。
 当時の青具には「大山に区有(名義は共有)林」があったが、山林資源が重要な時代で、事実「美麻北小中学校の増改築」に大山産の杉が大掛りに伐採されて利用された。
 後で青具に入った藤部落は共有林の権利がなかったから転出者の分を個別に順次取得する方法がとられた。その後青具の共有林は個々の所有権限者の相続事務等が煩雑になったこともあって、大山生産森林組合を発足して所有形態を整理したが、山林の価値低下の現実に直面している。


現代の藤 Edit

 07年1月現在の世帯は20戸だが、内1戸は別荘的利用、4戸のIターン者がいるが、うち2戸は空き家利用である。

  • 高年齢化したが、平成24年1月現在も20世帯を維持している。
    別荘利用者とほかに生活の根拠がある世帯があり、青具自治会への加入は18世帯だが、藤の集落活動には20世帯が参加して活動費も負担する。全世帯が産土様(藤井神社)の氏子にもなってもいる。 -- 2012-01-15 (日) 10:38:37

藤地区の申し合わせ Edit

 藤部落には次の申し合わせ事項がある。Iターン者はすべてこの洗礼を受け、自らもこの申し合わせに賛同することを表明している。
   
   藤部落の土地・建物等の譲渡に関する申し合わせ
 藤地区の住民は、地域内の土地・建物の権利譲渡を計画する場合は、相手方が地区内の集会等に進んで参加し、計画等について説明できる者に対してのみ行うものとし、速やかに集会に諮る。
(説明)
 取り決めに法的な強制力は持たないが、地域内の土地・建物等の所有権・使用収益権者として取り決めるものであり、集落内の住民が合意した。
  平成5年5月河川清掃時に申し合わせ、平成15年3月21日に再確認
●個人の持っている権利の制限につながるので、住民に所有権等が無ければ出来ない申し合わせである。
●いったん権利を失った土地等については、住民に不利益になるような事態が生じてもどうしようも無いケースが生まれる(例 産業廃棄物処分場)。そのような事態を未然に防止したい。
●集落内の住民がそれぞれ毎日穏やかに楽しく暮らしていくには、お互いのコミュニケーションは必要不可欠であり、住民生活上最低必要だと思われる範囲について申し合わせた。
●地区内における個人の責任について、最初に双方納得の上で出来る範囲を確認しあっておけば将来問題が起きない。



Last-modified: 2025-05-29 (木) 15:07:56 (32d)