|  | 発 行:ひょうすぼ社 | 
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乱杭 152号(2002年9月22日) 0 0  
         随分以前から、市の財政も厳しくなって、休日に出勤して仕事をしても、超過勤務手当ては頂けなくなり、「代休を取れ。」といわれるようになった。 だから、意地でも「代休」を取っている。それで、9月20日に代休をいただいて、上の続編を敢行した。  前回のターゲットは、天草諸島南端の牛深市と薩摩半島南端の枕崎市であった。  今回のターゲットは、長崎県の西海国立公園の中心地、平戸市である。  今回は、高千穂から国道325号を通って河内、高森を経由し、阿蘇を突き抜けて、国道57号から、熊本インターから九州自動車道に乗り、鳥栖ジャンクションで長崎自動車に入って目的地へ向かった。  武雄インタ−で長崎自動車道を出て、武雄・佐世保自動車道路(西九州自動車道)を経て、佐世保市へ到着。何と出発6時間後の午後5時であった。  別に途中、寄り道とかはしなかったのだが、なぜか、こんな時間になった。  「ここの岸壁は、軍艦ばかりで、釣りには向かんゴタル。これから平戸まで行って釣るわ。」「うそ・・・・・」 
         
           佐世保市内で、ちょこっと米海軍基地のゲート(写真)等を見て、国道204号で 田平から、平戸大橋(写真)を通って平戸市へ。平戸大橋を渡りきってすぐ、国道383号を左折し、平戸市とは反対の平戸島先端部の方へ向い、川内漁港で一晩釣りをした。 0  コの字をした湾奥の埠頭の中央辺りに、明々と明かりが点いた浮き桟橋のような場所があったので、車を降りて端へ行くと、正に墨痕あざやかなイカの墨跡があったので、ここに決めた。その桟橋には、横付けされた漁船が一隻だけ舫(もや)ってあった。  イカ釣りの餌用の鯵を釣り出してすぐに、半そでの下着にステテコ姿のおじさんがやってきて「釣れますか?」「ええ、パラパラ。」「少し鯵も大きくなったからね・・・」「はい。」  次に、ちょっと会話はご遠慮したい雰囲気のよたよたしたおじさんが来た。  次に、中学1・2年生と思(おぼ)しき少年が3人。「オジちゃん、イカならあっち(左手)の方がいいよ!」、「ありがとう。」  次に、エプロンを着けた、お若い頃はさぞかしと思える、私が自由人であれば、そこでナンパしたい位の鄙には希な中年の美人。「鯵は、釣れますか?」「はい、ぱらぱら・・・」「じゅあ、私も釣りましょう。」と言って彼女はしばらく姿をくらましてから、竿を持って再び現れると、浮き桟橋の連絡通路みたいな所で竿を出して、随分長い間、多分午後11時頃まで釣っていた。  次に、身体に似合わない小さな犬を連れた、夕涼みがてらの犬の散歩の、でっかいおじさん。私との間に5メートルほどの、絶妙の間隔を取って、話しかけてきたので、何者であろうかと緊張した。  「何処から来られたんですか?」、  話はますます進み、私の拙いラグビーの知識で、ウィングと言えば当時は「近鉄の坂田。」、「あの人は凄かった!」、「フルバックにも万谷という凄い選手がいた。」、「万谷さんは、早稲田のOBで、滋賀国体の時、会社の先輩にも早稲田のOBがいて、「万谷は、必ず右にかわして来るから、右を狙え」と言われ、実際言われたとおりで、バッチリ止めた。」などと、話が完璧に盛り上がった。 
         
           現役時代は、体重が93キロあり、巨漢ウイング(普通は80キロ止まりか?)で、ニュージーランドに遠征した折にも、あちらには大柄なウィングはいなかったとか。  ところが彼は、その巨漢で5.9秒とは、凄いと褒めちぎったら、まんざらでもなさそうだった。きっとおじさんは、その体と、その俊足が何より自慢だったのではなか。  人は、自分の一番得手とするところを褒められると、悪い気がする人はいないのだろう。  別れ際に「よいお話を聞かせていただきました。」とお礼を述べたら、「イカは、あっち(右手)がいいよ。」と、さっきの少年3人組とは、まったく逆の岸壁を指差して帰って行かれた。  朝方4時頃、昨夕、最初にやって来たおじさんがまた来た。「釣れてるね?」  それで、私の釣果はと言えば、先週大分の鶴見崎で釣れた鯵と比較すると、随分大きな鯵が沢山釣れたが、目的のミズイカはとうとう1匹も釣れなかった。 0  ブクブクでバケツに生かしておいても、少しずつ鯵は死に、それをクーラーバッグに放り込んでいたら、結構な数になった。この鯵を使って帰宅後、鯵寿司を作ったが、少し塩でシメ過ぎ、なおかつ寿司メシは、酢が足りなかったようだ。 
         
          22日(日)、彼岸の墓参りで、宮崎市の実家に持参し、「これは、そん所そこ等の鯵とは、鯵が違う。何しろ、平戸の鯵だから!」と講釈つきで売り込んだけれどもあまり売れず、半分は、自分で食べた。 0  誰もいない聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂(写真左・右)、 
         
          0 (1)2日間の走行距離:687km (2)ガソリン消費量:44.7リットル(軽自動車の強みを遺憾なく発揮した。15.7k/liter) (3)高速道路・一般有料道路通行料金は、公団等民営化推進委員会に悪用されると
         腹が立つので記載しません。(笑い) 
         
          (4)これら費用から算出できる1匹当たりの鯵を釣るために要した費用とそのコスト・パフォーマンスは、それを公表すると、我が家の財務大臣からクレームがつきそうなので、これも公表しません。しかし、それに勝る様々な経験をさせていただきました。 (5)これで、だいたい九州西海岸は、走り終わって「玄海・鎮西・呼子」だけが残った。
   
 
       
   
          
   
       
   
          
   
       
   
          
      
         
       
      
          
   
       
   
          
   
         実際は、とんでもない所まで行っちまって、釣果はサヨリ1匹だった・・・。
         20日午前中、洗濯をしたり、炊事場を片付けたり、弁当を作っていたりしていたら、
         出発は午前11時になってしまった。
         
         
         
         
         
       
   
          
      
          職場の釣りキチ仲間に「今、何処にいると思う? 佐世保・・・」と電話を入れたら「うそ???佐世保で釣りをするのですか?」 
         
         
          
      
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
          
   
         田平町へ。
       
         
       
      
         
       
      
         
       
   
   
 
       
   
          
   
       
   
          
      
         
       
      
         
       
   
       
          
      
          そのおじさんは、釣った鯵をバケツに入れて、ブクブク(酸素補給器)で生かしているのを怪訝に思ったようで、色々と質問を飛ばしてきて、ご機嫌を損ねてもいかんと思い、逐一答えていたら、イカ釣りの仕掛けの「ヤエン」が珍しかったらしく、しげしげと手に取ってしばらく眺めて、帰っていった。
         「宮崎です。」、「宮崎!ホーッ。」、
         から始まって
         「宮崎は何処から?」、「延岡です。」といき、どんどんコミュニケーションが進んで、とうとう私より3歳年上で、地元の高校ではラグビーで鳴らしたおじさんは、卒業後、同志社に進学して、近鉄に誘われたけれどもそれを蹴ってサンヨー電器に就職して、ウィングとして活躍し、実家を継ぐために、数年前に退職してこちらへ帰ってきたことを話してくれた。
          
      
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
          
   
          ちなみに、「50メートルをどれくらいで走られましたか?」と聞くと「5.9秒」と来た。 陸上競技の選手としては、全く才能のなかった私は、中学時代に、もともと早い人への対抗手段として、スタートを磨く以外にはないと思い、徹底的にその練習をして、50メートルまでは自信があって、大学1年生の時の体育の授業の体力テストで、50メートル走が6.1秒だった。
          おじさんの長男さんは、やはり高校ではラグビーをされて、父親と同じ同志社に進学されたそうだが、工学部で、「岡監督に引き合わせたけれど、とうとうラグビーをするとは言わず、入部すらしなかった。でも高校でラグビーをしてくれたし、よかった。」と彼。 次男さんは、現在何処かの大学院にいらして、来年はドクターコースに進まれる予定だそうで、「まだまだ子どもに金が掛かりますワ・・・」とのことであった。
          「餌(鯵)は、まあまあですが、イカはさっぱりです。ところで今頃は、ここではどんな漁をされるのですか?」と逆に尋ねると「蛸」と何とかといわれたけれど、聞き逃した。
          蛸は、昔のような蛸壺ではなく、「新型蛸壷」という、中の餌に蛸が触った途端、入り口の蓋がパタンと落ちる仕掛けで取る、とその桟橋に置いてあった仕掛けを使って説明して貰った。これから、ハマチ・ヒラス漁に変わって行くそうだ。
          少年やラグビーおじさんのアドバイスを入れて、あっち(右)か、あっち(左)の岸壁に早く動くべきだったのかもしれないが、イカ以外の来訪者が面白くて、そこを動くに動けず、朝を迎えてしまった。
   
 
       
   
          
   
       
   
          
      
         
       
      
         
       
   
       
          
      
          
      
         
         
         
         
          
   
   
 
       
   
          
   
       
   
          
      
         
       
      
         
       
   
       
   
          
   
         平戸城址(左下)を訪ねて、松浦市、伊万里市を経て帰宅した。
       
   
          
      
 
         
         
          
      
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
          
   
       
          
   
         帰路に通った長崎自動車道の武雄・北方ICで降りて、
         国道498号で伊万里市へ。
         そこから204
         号で伊万里湾沿いの道を行かれることをお奨めします。
         佐世保〜田平間の204号は山道で、景色がサッパリでした。
   
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