発 行:ひょうすぼ社
発行人:佐藤理洋
e-mail:
riyoyoko@hotmail.com
創刊:昭和60年(1985年)6月15日

ご意見・感想等は発行人までお願いします。(^_^)  

私的新聞 乱杭200号(2005年6月11日) 創刊20周年・終刊号

◆長い間のご愛読に感謝します◆

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20年前の私は、何をしていたのだろう。

Here's a cool technique!

(←写真)「乱杭1号(「下作な話」から
通算3号)」を改めて見てみると、32歳の
私は、現在と余り変らない生活をしていた
ように思えます。つまり、20年間、進歩がない。
1号、右下の鉛筆絵が199号でご紹介した次女の
描いた「アカハラ」です。

 

 1号から50号までを一冊にまとめた「定本乱杭」(↓写真2枚)を作成したのは、1989(平成元)年6月1日でした。定本を作成するようなヤル気や根気やは、とうの昔に失いました。











 100号(写真↓)は、Eメール版になって2000(平成4)年10月17日の発行でした。我ながら、よく続けてきたな、と思います。

長い間のご愛読に感謝します。

◆下駄を鳴らして「ヤツ」が来る◆

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 皆さんには、それぞれ親友と呼べる友人がおありでしょう。(肯定的疑問文です。念のため・・・)

 「ヤツ」ことS君は、私にとって親友の域を遥かに超えた、地球、空気の次の、私がこの世に存在し続けるための自然・社会基盤のような人です。ですから、親友やひどく仲の良い友達のようにべたべた何時もくっついて交流すると言うことがありません。つまり強烈な仲良しと言うものではなくて、強いて言えば、「肝胆相照らす仲」が近い感じでしょうか?

 今も同じ街に住んでいますが、実際に顔を合わせるのは1年に数度です。この街に住んで元気でいてくれれば、それだけで癒されるような人です。

 「ヤツ」には、転校して行った延岡市立南小学校で、小学校5年生の春に初めて出会いました。以来、中学校の3年間は、部活(陸上競技部)が一緒。高校3年間のうち2年間は、学級が一緒。








 大学生活も関大で4年間一緒に過ごしました。およそ100mほど離れた賄いつきの下宿屋にいた「ヤツ」が夜な夜な、カラン・コロンと下駄を鳴らして私のアパートに歩いてくるその音を忘れません。

 その後「ヤツ」は、「ここが気に入った。」と言って、私が住んでいたアパートに越してきて、2年間同じ屋根の下でも過ごしました。

 その「ヤツ」から、今朝珍しく電話があって「宮崎日日新聞に掲載されている石井先生の連載随筆の写真にあんたが写ッチョルゾ。」ゲナ。

 後ほど南延岡駅のキオスクで同紙を求めて開いてみましたら、「ヤツ」の電話のとおりでした。卒業記念アルバムに掲載するために2年生の時に美術室で写した部活動紹介の写真で、懐かしい延岡高校美術部の先輩、同学年生、後輩の面々と顧問の石井先生が写って(↓写真)います。私は、後列右端。

◆石井秀隣(ひでさと)先生◆

 美術部顧問の先生には、とてもこのスペースでは書き尽くせないほど、お世話になりました。歴代部長は美術大学へ進学してきた同部の貴重な伝統を私はぶち壊して、法科へ進学してしまいました。とは言え、美大へ進学しなかったことは後悔していません。逆に、「止めとけ。」とアドバイスしてくれた、自身もかつて美大への進学を夢見たこともあったという父の冷静な眼力に感謝しています。

 しかし、私の高校生活から、美術部で過ごした時間と先生の薫陶を削除したら、後に残るのは、体育と世界史の授業と、ナントカちゃんと、カントカちゃんと、○○ちゃんと、△△ちゃんと過ごした時間しか・・・。
 オイオイ、お前、どないナ高校生時代を過ごしていたんヤ?

 殆ど本気の冗談はさておき、石井先生の強烈な思い出は、何年だったでしょうか、宮崎市の山形屋百貨店で開催された「宮崎県美術展『特選展』」で観たあの作品です。

 福岡学芸大学在学中の昭和32年、第8回宮崎県美術展で特選を受賞された「牛骨のある静物」に続く昭和38年の同展特選受賞作品だったのでしょうか?

 その作品の題は、「奪われるもの」(だったと思う。)。

 少年期から青年期へ成長していくらしい年頃の象徴化された男子が、天空へむかってやや折り曲げた両手を突き上げ、何かを取り戻そう、又は奪われまいとして大地に足を踏ん張っている鬼気迫る象徴的・抽象的表現の絵画でした。














 先生の回顧録的随筆の連載が先月から「宮崎日日新聞」紙上で始まったことは、知っていました。我が家が購読している朝刊が別社のものだからということではなく、心がけて、読まないようにしていました。

 大恩義ある先生の連載を読まないように、とは何事か・・・。実は、恐ろしくて読めないのです。

 先年開催した我々の卒業30周年記念同窓会にも先生はお見えいただきましたが、来賓挨拶の際に、恐れていたことが起こりました。

 「今日幹事をしているサトウ・リヨウ君にね、美術部のデッサンで使う牛の頭の骨を『トサツ場』から貰って来いと言ったら、頭の骨にまだ脳味噌やら目玉やらが付いていたものだから、サトウ・リヨウ君は沖田川にそれを投げ込んで・・・、それを釣り人が釣り上げて新聞社に通報して写真入りの記事になってしまって・・・。」

 延岡高校美術部で過ごさせていただいた時間は、ルビー?、オパール?、ダイヤモンド? 掛替えのない貴重な時間でしたが、そこで私がやらかした数々の事件は、一冊の本が書けるくらい無茶苦茶、入れる穴を100個ほど掘らなければ恥がそそげない、思い出すのもゾッとしたかと思えば、その冷や汗が瞬時に沸騰して蒸発するような、時間を35年間戻して消せるものなら、右クリックの削除を1万回押し続けたい・・・、 あーっ、これ以上は語彙がありません・・・。だから悪夢のような行状の断片でも、紙上、先生に書かれてしまうのではないかと、恐れおののき、読む気色には到底なれないのです。

 早く先生の連載、終わらんかナ・・・。終わる日まで、生きた心地がせんのです。

◆先生の連載に先立つ不幸をお許し下さい◆

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 そんな訳で、石井先生の宮日の連載は続いていますが、我が家の子ども達もそれぞれ自立していきました。家族の記録を基本的な使命としてきました「乱杭」は、区切りの20年、200号を以って終わらせていただきます。


 これまで20年間、至って私的なくだらない話にお付き合いをいただきました皆様、ありがとうございました。心から感謝申しあげます。そして、皆様、お元気でお過ごし下さい。

 なお、「乱杭」「野鳥歳時記」のバック・ナンバーは、
長野県白馬村のペンション馬鈴薯の下記ホームページでご覧いただけます。
http://web.hakuba.ne.jp/potatoes/ran_site/f_ran.html

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